依頼者からの借金体験記

青空と債務整理

6章

私は、新千歳空港往復の飛行機の予約をした。同期会への返信ハガキも「出席」に○をして送った。しかし、私には、肝心の金がなかった。往復の飛行機代どころか同期会費1万円の金もなかった。私のほぼ0円の通帳は妻が保管しているし、妻は家計のやりくりをし、私のために毎月3千円のこづかいを捻出してくれている。その金は妻が作る弁当以外の昼間の食事代に消えたり、ナンバーズや重賞レースの馬券に変わる。財布を探っても1円玉がいちばん多く、次に10円玉、100円玉の順で、千円札が財布の中に入っているのは給料日直後の10日間ほどだった。私は同期会への出席を妻に切り出そうか否かで悩み続けた。しかし、毎日のように家計簿をつけ、食費代や光熱費の切り詰めを考えている妻に、私は高校の同期会に出たい、小樽へ行きたいと、そんな「贅沢」なことはとても言い出せなかった。

8月14日の1週間前に、私は同期会に出ることをあきらめた。飛行機の予約をキャンセルし、「急な仕事がお盆に入り、欠席」の旨を伝えるハガキを代表幹事宛に送った。

8月14日午後6時。小樽で同期会が開かれ、昔の友人たちが30数年ぶりの再会で賑わっているであろうその時刻、私は妻と2人で特売のレトルトカレーを食べていた。娘は友達と遊びに出かけていた。もしも、債務を持たなかったら、私は今ごろ小樽にいて森高早紀と対面しているはずだった。その時、自分はどういう感情の高ぶりを心身に感じていたのだろう。

あああ、自分は何をしているんだろう。どうして、どうして、どうして、こんなところで、レトルトカレーなんか喰っているんだろう。ずっと想ってきた人生で一番好きな女の子に30数年ぶりに会えるはずだったのに、自分は人生で一番の借金を抱え、自己破産の申し立て中だった。私はカレーを食べながら悲しくなってきた。目が潤んできた。

自分が情けなかった。愚かだった。人間が、甘かった。

私はキャッシングが習慣になった40代半ばから森高早紀を心で想い、自分の中に満ちていた希望や彼女の頭上で輝いていた青空を感じとることで、現実の不安を忘れようとしていた。救いのない自分を、救おうとしていた。
それは「自殺」とか「強盗」とか妙な考えに陥らないための心の支えになったが、私の救いにはならなかった。
結局のところ、債務を抱えていた私を救ってくれるのは、そういうことではなかった。
青空も、希望も、別のところにあった。

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