依頼者からの借金体験記

青空と債務整理

4章

私は大学卒業後にいくつかの職を経て、28歳の時に西村印刷株式会社に入った。従業員20名ちょっとの小さな印刷会社だが、クオリティの高い仕事が評判で、長くつきあっている企業が多かった。制作・編集部門ではタウン情報誌や流通のコミュニティ誌をつくており、私は40歳の時から制作部長をつとめていた。その上の役職は、印刷部門をしきっている総括部長、専務、常務、社長しかない。つまり、私はナンバー5の人間だった。給与もそこそこよかった。が、7年前の春、給料が、給料日に、予告もなく10万も減額された。確かに上得意のスポンサーとの契約が切れ、仕事が減っていた。分譲のボーナス払いにあてていた夏と冬の賞与はその前年から出なくなった。悪くなる前触れはあった。とは言え、いきなり手取りで43万円から33万円はないだろう。社長は自分の正統性を主張するために1時間以上も1人で話し続け、気に入らないのなら辞めてもらって結構という暗黙のプレッシャーをかけてきた。人生で給与ダウンは初めての経験だった。が、2〜3か月もすれば、もとの給料に戻るものと思った。実際に社長もそのようなことを話の中で匂わせた。妻には先行きを不安にさせたくなく、減額のことは話さず、持っていたクレジットカードでキャッシングをし、節約できない生活費の不足分を穴埋めするようになった。しかし、私の給与はもう元に戻ることはなかった。この3年後、33万円が27万円になり、そして今年の4月、21万円にまでダウンした。それは、20数年前に西村印刷会社に入った時の給料とほぼ同額だった。結婚し子供を育て、仕事のスキルをあげてきたこの20数年間は、いったいなんだったのだろう。私はこんなところで自分の人生が振り出しに戻るとは思ってもみなかった。

その振り出しの頃、渋谷の百貨店に勤めていた谷山恭子と出会った。2つ年上だった。恭子と30歳で結婚し、3年後に美沙が生まれた。ぎりぎり東京のはずれに分譲マンションを買った。頭金になるような金はなかったが、公務員を退職したばかりの妻の実家が500万円も出してくれた。以来、妻に隠しだてするような行いはなかったが、多額の債務を抱えて「秘密」をつくってしまった。

その秘密が妻に知られたのは2年前の秋だった。毎月送られてくるクレジット・ローン会社の請求書の数の多さについて問われ、明るみになった。妻は私の多額の債務を初めて知り、混乱した。そのことに関して私は口では説明できず、一週間かけて文章を錬り、言葉を選び、債務のいきさつをメールで伝えた。妻からもメールが返ってきた。債務にびっくりしたこと、債務の返済に協力すること、今後は隠し事はせずに相談してほしいということ。ありがたかった。しかし、感謝の思いがあっても口にはできず、この多額の債務の件に関して、私と妻はほとんどメールでやりとりしていた。娘がそばにいることもあったが、面と向かって話し合うと、不安や怒り、悲しみと言った暗い感情や火のついた言葉が口から飛び出してきて、話し合いにならないおそれがあった。

妻はメールの言葉通り自分の貯金から50万円をだしてくれた。「ひとつひとつ消していきましょう」と言った。その金で、とりあえず借入先の1社を消した。しかし、1社を消したところで、毎月の返済額はそう変わらなかった。毎月の返済額は合計50数万円まで膨らんでいた。1万円が減ったくらいでは、月々の返済額はうすまらなかった。

すると、

「一度相談してみたら」妻が言った。

「相談? だれに?」
「弁護士とか、司法書士とかに」

私は元来、石橋を叩いて渡る慎重派の人間だった。しかし、ひとたび崩れ落ちそうな橋に足を踏み入れたら、もうあとはどうにでもなれという、おおざっぱな無謀な人間に変貌する。そういう男だから、誰かに相談するという発想は持たなかった。自分一人が責任を負えばいい、という家庭を顧みない考えだった。

妻は「債務の整理」には、マイホームを手放す「自己破産」以外にも「任意整理」「個人民事再生」の方法があることを調べて教えてくれた。

「どれがいいと思う?」私がのんきに聞き返すと、妻は苛立ちの声をあげた。
「私にばっかりまかせないで、自分でネットを見たり、調べたりしなさいよ! 自分のことなんだから、もっとちゃんとしてよ! あなたは一家の主人なのよ!」妻は泣いた。
「ごめん」
「ほんとは離婚されてもおかしくないのよ! 美沙のために離婚しないでやってるんだから!」
「ごめん」

私は「ごめん」以外の言葉が、言えなかった。
私が多額の債務を抱えたことを妻は泣きたいほどの衝撃と不快を持っている。じっとこらえてはいるが、時々感情が表にあらわれる。「ごめん、ごめん、ごめん」私はひたすら謝り続けるしかなかった。
そして私自身もこのどんよりとした暗い場所からの逃げ場を探していた。井戸の底から見上げるような青空のある世界を。それが、十代の頃の森高早紀の姿と重なった。彼女の背後には、青空が輝いていた。

夜、妻と娘が寝入ると、私はコンピュータへ向かった。この時刻、何年か前までは「アダルトサイト」と過ごしていた。それがいつからか「ローン申込みサイト」を見るようになり、今度は「多額債務お悩み解消のサイト」を見る時間になった。その中で、たまたま開いた「シン・イストワール法律事務所」の「債務の整理」という言葉が目についた。それが、のちに、私の、現実の、青空になった。

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