依頼者からの借金体験記

青空と債務整理

3章

それから1か月半後の6月初め、7階建て5階のマンションから3階建て2階のアパートへ引越した。感傷的になると思ったが、特別な感情はわかなかった。住宅ローンがまだまだ残っていて所有の感覚がわかないせいだろう。それでも、新婚時代を過ごし、娘が成長した「わが家」を手放すのは寂しかった。
 
新しい居住空間は前よりも狭くなったが、私の通勤や娘の高校へは乗換が便利になった。

小宮山司法書士は6月末に申し立てを行った。必要書類を「イストワール法律事務所」に届けた。9月半ばか末には裁判所より免責許可の決定がもらえるだろうということだった。私は、とりあえずほっとした。あとは、待つだけだった。

そんな最中のことだった。まだダンボールの荷物が整理されていないアパートに会社から帰ると、「何か届いてるわよ」と妻が家計簿をつけながら関心なさそうに言った。ダイニングテーブルの上に茶封筒が載っていた。高校の同期会の案内状だった。幹事の中に森高早紀の名前があった。30数年前の青空が心にぱっと広がった。

妻が風呂に入っている間、私は高校の卒業アルバムをちょっと興奮気味にダイニングテーブルで開いた。早紀は合計5カット写っていた。私は17歳の夏の日に、この森高早紀という女の子と一度だけデートをしたことがあると娘の美沙に教えた。

「キモー、一度だけなの?」と美沙。
「みんなの憧れの女の子だったから一度だけでもデートができたのはすごいことなんだよ」
「ママには秘密にしておいてあげるね」
「別に秘密になんかしなくたっていいよ。昔の話なんだから。ママにもその人のことを話してもいいよ」
「やめな。昔の話でも、ほかの女の話をされるのって、あまり気分のいいもんじゃないから」

美沙はませたように言った。美沙は好きな男がいるのだろうか。美沙を好きな男はたくさんいるだろうが・・・美沙は今時の少女ではあるが、おどろくほど素直に育った。17歳。この年齢になる女に自分は初めて恋をしたのだ。が、娘を見ても、幼いのか大人びているのか、わからなかった。

いま早紀は私の知らない誰かと結婚し、郷里の小樽に住み続けている。坂の上にある小樽公園から眺める港や天狗山の景色と同じように、早紀は、東京に住む私のふるさとの一部になった。彼女を思うと、50歳になる今でも私の心に清々しい息吹が流れ、青空が広がる。

しかし・・・

「いいな、美沙も行きたいな。もうしばらく小樽のおばあちゃんちに行ってないよね」

家族で最後に小樽へ行ったのはいつの年だろう。美沙は小学校1年生の時と言った。実際は3年生の時からだろう。それまでは毎年、7月下旬の潮まつりの時かお盆の時期に帰省していた。ところが7年前、娘が4年生になる年の春に給与が10万円も下がった。私はそのことを妻に言えなかった。当時は妻も働いてなく、娘の教育費や習い事等が増え、電子レンジや冷蔵庫が相次いで壊れ、出費が重なった。それと、私と2歳年上の妻との力関係があった。「給与が下がった」「これからはこの33万円でやりくりしてくれ」とは言えない雰囲気が夫婦間で作られていた。それが、今日の自己破産の申し立てにつながっている。

美沙は父親が自己破産に陥ったことを知らない。世の中の不景気のあおりで家計が苦しくなったことと、そのために分譲を手放し、賃貸に引越したものと思っている。妻はきちんと知らせた方がよいというが、せっかくまっすぐに育っている子を、わざわざネジまげるような話はとてもできなかった。
 

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