債務整理コラム

ボランティア・慈善事業にうつつを抜かす人々

サラ金から借入をして行き詰まる人の理由は百人百様です。ちょっと借りるだけのつもりが気づけば雪だるま式に膨れ上がり、返済できなくなった人がいます。親戚から連帯保証人を頼み込まれ、仕方なく判を押したら借金をぜんぶなすりつけられた人がいます。夢のマイホームを建てたにも関わらず、運悪く会社が倒産してしまった人がいます。

借金をした人には一人ひとりにドラマがあります。嬉しいことやほっとしたこともあるでしょうし、顔が青ざめて憔悴しきってしまったこともあるでしょう。ただ、イストワール法律事務所ではこれまで数万人もの方の借金問題に取り組んでまいりました。そして、借金の整理を終えた後、しばらくして「ああ、あのときは本当に苦労したな。だから今の自分があるんだ」と債務者の方に思っていただけることをイストワール法律事務所では何よりも大事にしています。

先に述べたように、借金をする人の中には本当に色々な人がいます。その中でもときどきですが、特殊な人がいます。ボランティアや慈善事業にのめり込んでしまう人です。

当所は何もボランティアや慈善事業が悪いなどとは申し上げていません。それどころか、苦しんでいる人に救いの手を差し伸べることは何よりも素晴らしい行為だと思っています。

しかし、たとえばプラカードを持ってデモ行進することに傾倒して仕事がおろそかになったり、また、遠くの国の人を助けるために朝から晩まで走り回って、その傍らでときどきアルバイトをしたりするような人も世の中には存在します。

こういう方の中にはクレジットカードやキャッシングがとっくにブラックになっており、友人知人からも借金をして踏み倒して平気な人もいるのが現実です。そしてこのような人に限って、借金の催促をされると激しく怒り出します。返せないのであれば少しでも働けば良いというと今度は「俺は正しいことをやっているんだ。何が悪い」と開き直ります。

これは一種の宗教と同じ。自分のやっていることだけが絶対の価値であり、そのためには他人を騙そうが、借りたお金を踏み倒そうが、自分の信念の前には取るに足りないと当人は思い込んでいます。これはある意味で一番たちの悪いタイプだといえます。

「串だんごの法則」から外れるな

動物保護であれ、難民支援であれ、どういう慈善事業やボランティアであっても、自分の生活をないがしろにして、遠くの何かや誰かを助けようとする人。こういう人はまずまずめったに債務整理もやろうとはしません。また、この手のタイプにお金を貸しても、債権回収することは非常に難しいのが実情です。なぜなら、そもそも彼らは極限までお金を持っていないためです。

それはそうです。みんなが働いている平日の昼間からプラカードを持ってデモ行進をしていれば、それはお金が入らないに違いありません。そして彼らの場合、夕方のニュースなどでデモ行進をしたり、海外の難民支援をしたりしている姿を報道されれば、そこでもう鬼の首でも取ったかのように勝ち誇ります。このように彼らはお金を中心にした社会の流れとはかけはなれた位置に価値を置いています。

貸したお金を平気で踏み倒された人にとって、このような慈善事業家は許しがたいものでしょう。ただ、人の価値判断はそれぞれであり、彼らが悪人か善人かというのは、見る人の判断によって変わります。

それでも一つ言えることとして、彼らはけっして幸福ではありません。なぜならそれは人が幸せになる最低限の法則から外れているからです。

「串だんごの法則」というものがあります。長野にある禅宗のお坊さんの言葉です。人生は4つのだんごが順番に串に刺さっているといいます。一番手元にくる最初のだんごは自分です。次は家族や友人など親しい人たち。3つ目は会社。そして最後は国家や社会など幅広いものを指しています。

このだんごが順番にささらず、自分のことをおろそかにして、友人からは借金を借りて踏み倒し、ろくに仕事もせず、最後の慈善事業だけ真剣にやる。最後のおだんごだけがぽつんと遠くに刺さっていても、これは串だんごとは呼べません。もっといってしまえば、それは慈善事業ですらないのです。

友人から信頼を失い、しかもろくな職歴もなければ、本当に有意義で誰もが認める慈善事業にはなりません。なぜなら、どれだけがんばっても自分をおろそかにしていては、目的を長続きさせることができないからです。

これは串だんごから外れた結果なのです。

今借金がある方もない方も、自分の生活を見直す際、串だんごから外れていないかどうかときどき点検してみましょう。お金の貸し借りも含めて、筋の通った生きかたができるようになるはずです。

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