債務整理コラム

信用の喪失は一瞬で起こる

サラ金会社の人間は海千山千のつわ者です。彼らは法律で縛られているためにあまり横暴な態度には出ないものの、見るからにちんぴら丸出しの格好や態度だったり、のみならず実際に相当な修羅場をくぐってきたりしている人も少なくはないようです。

サラ金会社は一つの業務形態であり、彼らに対して褒めるつもりもけなすつもりもありません。大手であれば働いている人もわりとサラリーマン的な気質の人も少なからず在籍しています。逆に小口の消費者金融は会社員と言うよりは、やはりどことなく“切った張った”の世界を彷彿とさせる剣呑さが漂っており、取立に際しても直接手は出さずとも、法律の境界線ギリギリのかたちで、何時間でもゴネ続けるなどと言うこともまま見受けられるパターンです。

さて、このような世界の人々は「人を見る目」に長けています。「人を見る目」とは何か。これは千差万別、見る側の人によりけりです。なぜなら人を見るにも色々な切り口があるためです。例えば、中学や高校の私立であれば学力はもちろんのこと、礼儀やコミュニケーションなどがしっかりとしているかを見られるでしょう。就職であれば、しっかりと会社に貢献できるかどうかが決め手となります。

では、サラ金業者の「人を見る目」とは何でしょう。これはもちろん「お金を貸して良いかどうか」。つまり「お金を貸したらちゃんと返すかどうか」です。

これを一言で述べたものが「信用」です。つまり「信用」とは「お金を貸して良い」と債権者が判断することなのです。こう述べると「何を当たり前のことを」とお思いになる人もいることでしょう。しかし、多重債務者の多くはこの点をどうも誤解している節があります。多重債務者の信用とは「サラ金がお金を貸してくれるための“条件”」もしくは「返せない状態に陥ったらまた別のサラ金から借りると言う“前提”」に過ぎません。

これを端的に表した言葉が「信用を付ける」と言うもの。一般的に信用とは「得られる」ものであり、付けると言う表現はしません。しかしながら多重債務者の間では信用とは「付ける」ものであり、そのために幾度かサラ金から借りてはすぐに返すと言うパターンを用いるようです。

しかし、先に述べたようにサラ金業者は海千山千のつわ者です。とても厳しい言い方をしますが、サラ金に勤める人たちのほとんどは債務者を内心ではばかにしています。もっとひどい言い方をすれば人とすら思っていない節があるのです。サラ金業者の目線では、サラ金に手を出す人のほとんどが返済を渋り、滞納し、やがては破産する。または、債務者はそもそも返すつもりがない。なぜなら返すような人はまず借りないし、借りたとしても三年に一度とか、五年に一度とか、その程度に過ぎず、また給料日になれば即座に返済する。それ以外は貸すような価値などないと思っているのです。

そのような思惑を持っているサラ金業者を相手に、たかだか三回だの五回だのの返済をする程度で信用が「付いた」などと思うこと自体が大きな間違いです。

このような話を聞いたことがあります。
Aと言う少々コワモテのサラ金業者が、五十代の男性の債務者に取立を行ったそうです。すると男性は土下座するような勢いで、本当に申し訳なさそうに謝りつつ、用立てはできるので、あと一週間だけ待って欲しいと頼んできたそうです。

サラ金業者としては聞き飽きたセリフではあります。しかしこれまでとくに滞納もなく返済をしてきた債務者ですし、親戚から借りると言う用立ての手段ももしかしたら本当かもしれません。そこで今回だけは待ってあげると言う流れになりました。

ところがそれを告げたすぐ後のことです。債務者の携帯がピリリと鳴り響きました。すると債務者はAに断りも入れずに携帯を耳に当て、数秒ほど通話相手の言葉に耳を澄ませた後、やにわに「わかってるんだよ。あんたさ、しつこいんだよ。どういうつもりなんだ」とサラ金会社の人間も眉をひそめるほどの怒声を場に響き渡らせたのです。

それがどういう内容なのかはAには判断できません。しかしAはサラ金業者と言うこれまでの経験上、この相手は“ダメだな”と判断したそうです。ただ、待ってやると言った手前、一週間だけはきっちりと待ちました。しかし案の定、債務者は一週間後に再び土下座するような勢いで再び延納を申し出てきたのです。無論、Aは聞く耳を持たず、すぐに給与の差押えの手続きに入ったそうです。

信用と言うものは「付く」ものではありません。ほんの些細な一言や、表情の変化によって変わるものなのです。だからこそお金を借りる際に「信用を付けよう」などと思ってはいけません。誠実な人生を歩めば信用は自然と「得られる」ものなのです。

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