債務整理コラム

破滅の日と終わりなき日2〜変わらぬ明日こそが真の恐怖〜

借金の返済をしなければいずれ破滅が訪れます。多くの人はにわかに訪れる破滅の日によってこれまで築いてきた一切合切を奪われることになるでしょう。それは家族の絆であったり、友との信頼であったり、社会的地位であったりするはずです。

しかし借金の放置をする人の中には、黙示録のようににわかに訪れる壮大な破滅ではなく、気づかないほどにゆるやかな放物線を描きながら、環境が次第に変わる人も少なくありません。これだけを述べれば「借金を踏み倒して、日常があまり変わらないなんてうらやましい」と思う人もいるかもしれません。しかしこれは破滅の日よりもなお恐ろしいものです。

少し考えてみて下さい。今日と明日は大きく変わるでしょうか。昨日はF1レーサーをし、今日は海に潜ってサザエやらアワビやらを捕ってきて道端で売り、明日は遠い異国の地で戦場カメラマンを行う。そんな生活があるはずがありません。サラリーマンであれ、学生であれ今日も明日も同じ場所の同じ机に向かうことが予期されるはずです。少なくともまんがのように異世界に飛ばされることはありません。

人は未来に淡い期待を抱いています。今日はイマイチな日常であったとしても、十年後・二十年後、漠然と「いつかはきっと」誰もが尊敬の眼差しで見つめる成功者になれるはずだと思っているはずです。これは人の自然な欲求です。しかし明日は繰り返されます。昨日と今日は変わらず、今日と明日はそう大きくは変わりません。

一般的なサラ金業者からお金を借りている限り、たとえば100万円の債務を滞納していたとしても、明日にはその借金が1億円になったりはしないでしょう。せいぜい100万円が101万円になったり102万円になったりする程度です。101万円の借金をさらに放置しても今度はそれが102万円になったり、104万円になったりする程度です。このような滞納を続ける限り、劇的な破滅の日などは訪れません。もちろん借金は雪だるま式に増えてゆきますが、返せない借金なのだからと問題から顔を背け、すっかり忘れてしまう限り、100万円がいつしか1000万円の借金になろうと同じことなのです。

昨日と今日は変わらず、今日と明日は変わらない。明日も明後日もほとんど同じ。時計の針は24時間ごとに文字盤の同じ場所をくるくると回るだけ。しかしお金は増やすことはできない。だからただ、だらだらと次第に暗く煙る夢のように腐ってゆく。その結果はどうなるのか。

元はまじめなサラリーマンだった人でも借金から顔を背け、延々と放置を続けてしまえばだらだらと堕落してゆきます。当然生活レベルも次第に下がってゆくでしょう。ただし、それもゆるやかな下降です。今までの住居は10畳間のマンションだったにも関わらず、気づけば6畳間、やがては4畳半のアパートへと次第に悪くなってゆきます。風呂トイレは別の生活が、いつしか風呂トイレは一体型。やがては風呂なし、トイレは共同のものへと変わります。今までは大型液晶テレビを使っていた人が、中古のブラウン管テレビ、やがてはテレビもなしへの生活へと変わります。そうして下降を繰り返してゆくうちに、ふと気づけばドヤ街の片隅で朝から焼酎を飲んでうさを晴らしている生活になってしまうのです。

こうなってしまうともうおしまいです。もはや何が本当で何が嘘なのかもわからない。人生の目的も霞の向こうに消えてしまうのです。かつての栄光を思い出すことはあるものの、稼ぎに精を出せばたちまち取り立て屋が飛んでくるため、まともな会社に就職はできません。もちろん得られるお金も振込ではなく、現金払いの日雇いのみ。奮起することもできません。なぜなら昨日と今日は変わらず、今日と明日は変わらないからです。こうなるとドヤ街と飯場を行きつ戻りつするだけの、この終わりなき日常が死ぬまで続くのです。

これはすべてが一斉に台無しになる破滅の日よりも恐ろしい破滅であると言えます。破滅の日が訪れた場合、あまりの事態の変化に「こんな生活はあり得ない。何とか頑張ろう」と奮起できる可能性もあるためです。しかし終わりなき破滅においては向上する力は奪われ、自分が何のために生きているのかもわからなくなります。言い換えれば存在する意義と意味を剥奪されるのです。

終わりなき破滅に際して必然的に債務者が求めるものは「自分がこの世界に生きる意味」です。生きる意味を失えば人は絶望して死んでしまいます。だからこそ、闇金に拉致されて強制的に働かせられる飯場やドヤ街には生きる意味の代替品が存在します。ドヤ街のトイレに行ってみるとそれが何なのかわかります。「ここに注射器を捨てないでください」と貼り紙がしてあるためです。

終わりなき破滅に際して、カラカラに乾涸びた日常を死ぬまで繰り返すのか。さもなくば麻薬で短い期間だけまやかしの幸福に浸った後、廃人になるのか。このパターンに瀕すれば人生はもはや取り返しがつきません。だからこそ「今」借金問題の相談をすることを当所は強くお勧めしているのです。

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