債務整理コラム

闇と灯火

借金をすると不安になります。返済日が迫っているのに返済額が用意できない場合には、それは尚更と言うものです。そのような債務者の心理を消費者金融は熟知しており、返済ができない場合、極めて迂遠な物言いながらも他から借金をして返済に充てろと迫ってくることがあります。また、取立の恐怖や不安が起爆剤となって消費者金融から督促を入れられる前に他の消費者金融に借入をしてしまう債務者も珍しくありません。しかしながら返済のあてのない多重債務は債務者本人が思うよりもずっと早く行き詰まります。

いずれにせよ、借金の返済のために借金を重ねるのは、問題の解決から目を背けていると言わざるを得ません。しかし、今日明日を何とかしなければと言った、債務者の切実な思いは痛いほどよくわかります。

以前、多額の借金を負ったAさんと言う女性がおりました。彼女の場合、自分でこしらえた借金ではなく、旦那さんがある日にわかに行方不明になったと同時に莫大な借金が判明したと言うパターンです。彼女は元の旦那さんの残した借金の穴埋めと言う理不尽に対し、筆舌に尽くしがたい苦しみを感じました。「どうして自分がこんな目に……」との不条理に際し、何らかの希望を得たいと思ったのでしょう。地元のお寺を通じてとある仏教の一派に入信したのです。

これがカルト教団ならば根こそぎ人生を毟り取られかねません。しかし、彼女が入信した宗派は日本では比較的ポピュラーな、室町・鎌倉時代から続く一派でした。ところが一ヶ月もしないうちに、Aさんの近所の人が、Aさんの自宅の前に粗大ごみとして仏壇が捨てられているのを発見したのです。仏壇の中には位牌や線香などが綺麗に揃ったままでした。Aさんの住む地域では、多くの人がそのお寺の檀家さんだったため、周囲の人たちは驚いた顔でそれを眺めていたそうです。やがて顔見知りの隣人がこれは一体どうしたことかとAさんに訊ねたところ、Aさんは目尻を釣り上げ、ヒステリックな金切り声で「入信すればお金が入ると思ったけど、何のご利益もないじゃない。だから捨てた」と叫んだそうです。

例えどんな思想信条があるにせよ、Aさんの行為はあまり褒められたものではありません。しかし借金問題と言う観点から眺めると、誰がAさんと言う債務者を嘲笑うことができるでしょうか。人の悩みは古来より、健康・人間関係・金銭の三つしかありません。そしてAさんはその大きな悩みを何とかしたいと願った末に宗教の門を叩いたのです。もちろん本来ならば、神仏の加護に頼るよりも、法的な債務整理をする方がずっと正しい回答だと断言できます。ただ、人生の不如意に遭遇した原因とその解決策を求めて、Aさんが宗教に目を向けてしまったのは、それも一つの道理としてやんぬるかなとも言った気もします。

借金問題は複雑です。お金に絡んでドロドロとした人の情が纏わりつきます。遊興費のためにお金を借りて返せなくなるような自己責任が原因ならまだしも、痴情のもつれがごとく、人の情や思いが絡んでくるものの場合、これはもうお金の話なのか、人生相談なのかもわからなくなりかねません。他人の心はわかりませんが、だからこそAさんは宗教に走ってしまったのかもしれません。

お金は人生の暗闇を垣間見せます。一寸先は闇と言う言葉はこのためにあるようなものです。例え右を向こうが左を向こうが、取立屋は常に債務者の意識を借金の返済と言う現実に引き戻します。そうして薄皮一枚隔てたどころか、完済に到るまで骨身にしみる思いをして労働をせねばなりません。この苦しみは返済の過程においては時間が、精神面から見れば人としての尊厳がズタズタに切り裂かれることでしょう。

では、私たちはお金に絡んだドロドロとした暗闇に直面した際、何に頼ってゆけば良いのでしょうか。孤独の中、人生と言う暗闇をトボトボと歩んでゆかねばならないのでしょうか。

これについては不思議なことに古今を問いません。一つの似たような答えが常にあります。
幕末の陽明学者 佐藤一斎は著書「言志四録」においてこのように述べています。

     
  • 一燈を提げて暗夜を行く。暗夜を憂うること勿れ。只だ一燈を頼め

仏教徒ならばお釈迦さまのこの遺言が脳裏に浮かぶはずです。

     
  • 自らを灯明とし、自らを依処として、他人を依処とせず、法を灯明とし、法を依処として、他を依処とすることなかれ

蛇足ではありますが、占いが好きな人ならば有名な占いであるタロットの「隠者」と言うものもあります。暗闇の中、フードを被ったおじいさんがカンテラを下げて歩んでいる絵です。

佐藤一斎は武士です。ですからこの「燈」は武士としての「志」を示しています。お釈迦さまは自分の心の裡にある「仏」こそが「灯」となる、と述べています。タロットカードの隠者は医師として名高いソクラテスの師だそうです。その意味は、知識と真理で暗闇を照らしてゆくとのこと。いずれにせよ、これらは人の儚い人生に希望を見出させるための、それぞれの一端を示しているかもしれません。

では、借金の問題については何を灯火とするべきでしょうか。武士道でしょうか、はたまたタロット占いでしょうか。答えはもちろん債務整理です。しかしこの裏にもう一つ、心から信頼できるものがあることに気づいていただきたいと思います。

それは「日本政府」です。日本政府とは、債務者であるあなたに代わって、今この瞬間にも地面に道路を敷き、周囲の治安を守り、各国と外交を行っている組織です。経済のバランスを整え、通貨を発行し、国民の医療と福祉を支えている組織です。ありとあらゆる方面からあなたを含めた国民の繁栄を願い、根本より支えている日本国の中枢システムです。

確かに債務整理は弁護士や司法書士が行います。しかしこのサービスは弁護士や司法書士を通じて日本政府がそれを許可しているのです。そのかわり、借金の完済が終わったのであれば、今度はかつて債務者だった人に心機一転して貰うことを望んでいます。そうしてどんどん働いて山ほどお金を稼いでもらい、その一部を税金として収めてくれることを政府は願っているのです。

いかがでしょう。債務整理と税金の納付。日本政府からの願いをギブアンドテイクの関係として捉えると、政府の許可する債務整理と言うシステムを存分に活用することがいかに素晴らしく、かつ安心できるものかお分かりいただけるはずです。

債務整理は債務者の足元を照らす小さな「灯」どころではありません。闇の帳を一条に切り裂き、天を塗り替えるほどの煌々たる太陽なのです。債務整理を行うことで、これまでの鬱々たる日々が終わり、かわりに債務者の目前には、日本政府が保証する、地平線まで続くほどに真っ直ぐに整備された道と、雲ひとつない青空が眼前に広がることでしょう。

宗教は魂の救済を説くところです。占いは運気を診てもらうところです。いずれも借金問題を解決するところではありません。借金で悩んだときには「日本政府」に頼りましょう。この素晴らしいシステムを扱えるのは、他ならぬ債務整理事務所だけなのです。お金の問題が解決すれば、それにまつわる人間関係も次第に薄れてゆくはずです。

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