債務整理コラム

水髄方円

盛夏のみぎり、多くの人が涼を求めて水辺に赴きます。毎年の恒例です。夕暮れに川辺に赴き、対岸に点るほのかな灯火を見やりつつ、柳陰を一杯などと言う夏には風趣があるものの、反面、宵祭の熱に浮かれて発生する水の事故も毎年どこかで耳にいたします。地方の険しい山間ではいまだ子どもらが渓流で水遊びをしていますが、さりとてこのような場所でおいそれと事故は起こりません。代々において地域の村人らが「この瀬は速いから近寄ってはいけない。この淵は深いから飛び込んではいけない」と口をすっぱくして繰り返し子どもらに教えているためです。夏の水難は大抵が普段水辺に接していない人たちが起こすもの。中流・下流でのバーベキューや手遊びの中洲釣りと言ったかたちで、水難は大体がパターン化しているようにも見受けられます。

さて、お金には水に似た性質があります。高きより低きに流れ、近寄れば引きつけあって一つにまとまります。少なければ蒸発してその姿をかき消します。あまつさえ滔々たる大河を築けば周囲の水源をも招き寄せ、やがてはもろともとばかりに世界に充ちるのです。お金もまた同じ。水のように循環を繰り返しますが、ときにまた水のように澱んだ淵に留まることもあります。その場合、留まったお金は流動性が低いとして嫌気され、本来の価値を落としてしまいます。また浅瀬にあって流れが途切れた場合、お金は干上がってしまうでしょう。そこで人に断って別の水源からお金を流し込むことを世間では借金と言うのです。

水を題材にした故事成語は古来より数多くあります。そのうちの一つ『水髄方円』は筍子にちなむ言葉です。日本では「水は方円の器に従う」と読まれ、平安時代より実語教と呼ばれる教書を通じて明治初期に至るまで広く社会の教養として浸透してきた言葉でもあります。元来の解釈では民は水であり、器である君子に沿ってその形(なり)を変えると言った趣旨を持ちますが、日本に渡っては転じて、器(方円)は個人の環境や人間関係を示し、水はその心を示すとの意に捉えられています。さらにこれを既往の叙述に置き換えれば、水とは自分を体現するための手段、即ちお金と述べることもできるでしょう。

水がお金であるならば、器にあたるものは市場です。フリーアルバイターであれ、年金生活者であれ、公務員であれ、サラリーマンであれ、はたまた専業主婦であったとしても、誰しもお金がなければ社会生活は成り立ちません。役所が二ヶ月に一度年金を支給してくれるにせよ、旦那さんが稼いでくるにせよ、誰かがお金をもたらしてくれないと人は生き残れないのです。しかし、お金の流れは現実の河川よりも遥かに複雑で隆起に富んでいます。例えばサラリーマンが徒党を組んで法人の形をなし、製造業と言う早瀬で待ち構えたとしても、景気が低迷すればその瀬はたちまちにして干上がります。そうしてその分の水はサラ金や銀行などの金融業界の川に流れ込み、激しく横溢することになるのです。

ベンチャー企業などを見ているとその仕組がよくわかります。ベンチャー企業は投機的な視点で短いスパンで大儲けできる分野に群れたがります。これはある意味でパチンコと同じ。瞬間的には大儲けできますが、時期を見計らわずにぐずぐずしているとすぐに川は干上がるか、さもなくばお金の流れに圧倒されて法人と言う器そのものが壊されてしまいます。一時期のライブドアなどはその分かりやすい例と言えるでしょう。比して三菱や住友と言われるような百年企業はあまり一時期の流行に乗りたがりません。例えば高度経済成長期やITバブル期にも社運をかけて飛びつくような真似はしませんでした。これは代々の企業理念として「市場が加熱しているときには近寄ってはいけない。会社を傾けるほどのお金を注いではいけない」と言う考えが社員一人ひとりにまで染み込んでいるためです。さて、両者を比べた結果はどうでしょう。ITバブル期に雨後の筍のように湧いたベンチャー企業はその九割近くが倒産し、逆に加熱しすぎた会社はお金の流し方がわからずに器を割って溢れだし、逮捕される運びにもなってしまいました。かたや三菱や住友はこの不景気にも関わらず、相も変わらず厳然と屹立しています。

債務整理に話を戻しますと、債務整理とは枯渇しかけたり、干上がってしまった川床に必要な分だけ人為的に水の流れを作り出し、債務者の再起を促すものです。しかし債務者としても「再び水が流れた」と喜ぶのは良いものの、同じ場所にぐずぐず留まっているわけにはいきません。なぜならその場所にはあくまでも人為的に水の流れが作られたに過ぎないためです。

では、お金が再び干上がらないためには具体的にどう動けば良いのでしょう。もう一度手元に返って「水髄方円」を敷衍してみましょう。実はこの言葉、日本語では続きがあります。それは「水は方円の器に従い、人は善悪の友に因る」と言うものです。債務者を客観的に見遣るに、斯の借金生活の因たるものは必ずしも業務や市場ばかりとは限りません。プライベートでは特に人間関係が大きくお金に響きます。ですので、先の箴言に従えば、債務整理を行った後にはまず落ち着いて周囲をじっくりと観察すべきです。向上を阻害する自堕落な人や自分勝手な人が周囲にはいないでしょうか。彼らと親しく接していては元の木阿弥です。

司法書士や弁護士に債務整理を委任すると、債務者にもはや取立も督促もゆきません。ほぼワンストップで借金の整理は終わります。この空白の時間は少しの期間疲れを癒すとともに、これまでの悪い環境を断ち切って、お金の流れる場所へと歩み出す期間でもあるのです。これがしっかりできなければ泥沼に足を取られるように貯蓄の中からずるずるとお金を抜き取られるばかりか、下手をすればまた借金生活に陥る可能性すらあるのです。

「人は善悪の友に因る」とは、裏を返せば良い人間関係を築けば生活が向上することをも示しています。同様にお金も良質な人と付き合うことを心がけることで、自然と蓄積してゆくのです。消費ばかりを求める関係ではなく、お互いに協力発展してゆく善き友を持つことが何よりも大切。自らが善き器となれるよう日々善き環境・人付き合いを心がけてゆく。そうすればお金は自然と自得の器に流れ込んで来ることでしょう。

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