債務整理コラム

自己破産からの立ち直り

Eさんと言う方がおられます。Eさんはスーパーや小売店などに事務用品を卸している零細企業の社長でした。豪放磊落な態度ながらも行き届いた気配りが周りの人々に好感され、小さいながらも会社は二十周年を迎えることができました。とても付き合いの良いEさんなのですが、この方は周りの中小企業の社長さんたちから旅行などに誘われても、いつも苦笑して辞退してしまいます。それもそのはず。彼は十数年前に会社が急成長していた折に銀座で豪遊を繰り返し、挙句の果てにホステスと浮気をしてしまいました。それが発覚するや、奥さんには「経理」の名目で財布の紐を完全に握られてしまったのです。Eさんが月に使えるお小遣いは五万円。例え会社の設備投資であったとしても、この金額を超える出費の分は事細かに奥さんに報告しなければなりません。このため、Eさんは付き合いで小さな居酒屋に出かけるほかは、趣味らしい趣味を持つことができませんでした。

さて、そんなEさんですから、休日にやれることと言ったら近所の図書館に出かけて本を読んだり、公園を散歩したりすることくらいしかありません。夜にはテレビを見たり、ネットサーフィンをしたりと言った程度のごくつつましい生活を送っていました。ところがある日、Eさんととても親しくしている中小企業のN社長からちょっとした投資話を持ちかけられました。それは一緒に商品先物をやってみないかと言うものでした。

商品先物とは端的に言えば権利売買です。小麦の価格が今後高騰すると見込んでいるのであれば、先に買っておいて値上がりした後にその権利を売り払い、その分が儲けにつながると言うものです。昔は電話で証券会社に発注するのが主体だったのですが、現在ではそのような複雑な取引もインターネットを用いて個人で簡単に行えるようになりました。

いずれにせよ、N社長は「もし損をしたら、自分が八割は補填する」と言う約束を申し出てきたのです。N社長個人は信用の置ける人であり、おそらくは暇つぶしに一緒に投機で遊んでくれる友人が欲しかったのでしょう。N社長いわく、スカイプを使って先物のグループを作り、みんなで相談しながらも個人で売買を行うと言うかたちでEさんを誘ったのです。

Eさんとしては半信半疑でしたが、暇を持て余していると言うこともあったので、N社長とほんの少額で念書を交わした上で「日経225ミニ」と言う先物を行なってみることにしました。これは種銭10万円程度で行えるちょっとした遊びのようなものです。ところが何も分からずに行ったことがビギナーズラックに結びついたのか、十万円で始めた先物がわずか数ヶ月のうちに四十万円にまで増えてしまいました。こうなったらもう止まらないのが人間の性と言うものです。Eさんは自分個人の数百万円の貯金をすべて注ぎ込み、朝から晩まで先物に入り浸るようになりました。知識も徐々に増えてゆき、それと同時に部屋中が投機の本と相場を示すモニタだらけになっていったのです。この過程に奥さんも気づきはしたものの、話を聞いている限りは儲けているようだし、何より本人のお小遣いで行なっているものですので文句のいいようもありません。そのため、奥さんからすると迷惑のかからない趣味と言うことで許可される流れとなりました。

投資や投機などはギャンブルに過ぎないと言う意見があります。そしてそれは真理の一面を持っています。ご多分に漏れず、Eさんも買いを入れた複数の先物のすべてが急落し、追証が発生する流れとなってしまいました。本人曰く、急落の直後は何も考えられず、興奮が覚めやらないために睡眠薬を飲んで眠り、やがて夕方なのか朝なのか、よくわからない薄ぼんやりした時間帯に目が覚めたとのことでした。そして薄暗い部屋の中でチカチカと光るモニタをあらためて眺めてみたところ、自分の財産のすべてが真っ赤に染まり、あらためて激しく落ち込んだらしいのです。ところがそのとき、Eさんは手元の携帯電話が明滅していることに気づきました。携帯の着信記録を見てみるとN社長からです。

「大丈夫かね」とN社長。
「ごっそりやられてしまったよ」とEさん。
「でもまあ、その金額程度の追証ならどうにでもなるだろ」

中小零細企業の不文律として、税務署に行くときは穴の空いた靴で歩いて訪れ、銀行に行くときには高級外車で乗り付けると言うものがあります。同様に友人同士であってもN社長に対しては社長仲間として、ある程度の見栄は張らねばなりません。そのため、Eさんとしては「もちろんだ」と返事をするほかはありませんでした。

しかし、N社長からそう言われて落ち着いて考えてみると、確かにEさんの家そのものにお金はないわけではないのです。別に会社からお金を流す必要もありません。ただし、その実権は奥さんが握っていると言うことが問題なのです。そんなわけでN社長は奥さんが出かけている間にこっそりと家の通帳を覗きみてみました。すると思いの外貯金が溜まっていることにEさんはまず喜び、ついでに奥さんの遊興費がEさんの数十倍に達していることに激しい憤りを覚えました。

そこに気づくともう罪悪感はありません。思う存分にお金を注ぎ込み、Eさんは投機を再開し始めたのです。しかし普段扱っている金額の何倍もの額を扱ったため、感覚が狂ったのでしょう。家から持ちだしたお金がなくなるのはほんの束の間のことでした。もちろん、その結果、奥さんとは激しい言い争いになり、わずか数週間で離婚騒動を経た挙句、とうとう会社のお金を使い込んでは、それをもなくすと言うパターンへと陥ってしまったのです。

「女房が悪いんですわ」
 うなだれながらも、最後の最後にそうぽつりと呟いたEさんに私は内心で苦笑してしまいました。
Eさんは言いました。
「で、自己破産できないでしょ。わたしはどうすればいいですかね」
私は頭を振りました。「自己破産は可能です」
「でも、先物では免責は降りないでしょ」

 私はもう一度頭を横に振りました。
 多くの人がこのように中途半端な聞きかじりの知識で債務整理を諦めてしまいます。Eさんのように当所を訪れてくださる方の方がずっと少ない分、Eさんはとても希望のある人です。

確かに世間では投資や投機では自己破産できない、と言われているようです。おそらくこれは、

破産法252−1−(4)

 浪費又は賭博その他の射幸行為をしたことによって
 著しく財産を減少させ、又は過大な債務を負担したこと。

と言うことが原因になっているのでしょう。しかし、債務整理を専門とする弁護士や司法書士でもないのに、誰が言い出したのかもわからない知識を真に受けて、債務整理の相談を忌避すると言うのはおかしな話です。

「先物は賭け事でしょうか。どうして免責が降りないと言うんですか」私は噛んで含めるようにEさんに言いました。「先物の損失で、裁判所から免責が降りた事例ならば私は知っていますよ。降りない事例と言うのはどういうものでしょうか」
 ほんの一瞬、Eさんはきょとんとした顔になり、それからみるみる顔に赤みが差してきました。
「ほんとですかね、センセ!」
「もちろんです」私は力強く頷きました。「それから代表取締役も辞める必要はありません」
 途端、Eさんは飛び上がらんばかりに椅子から立ち上がりました。次いで両手で私の両肩をぐっと強く掴むと、真顔で私の顔を覗き込み、今度は一語一語区切るように述べました。
「本当ですかね。先生」
「もちろんです」私は再度頷きます。「ただし、もう一度会社側に選任される必要がありますが」
それは問題ないです、それは問題ないですと早口に述べると、Eさんはもう待ち切れないとばかりに自己破産の手続きを私に急かしてきたのです。

こうしてEさんは自己破産を行いました。手続きの間、Eさんはすべての取引先を回って自分が投機に失敗して破産した旨を話し、頭を下げて謝ったそうです。元々昔なじみで仕事を回し合っていた取引先がほとんどなのですから、多くの社長さんたちが苦笑交じりにEさんの謝罪を受け入れてくれたそうです。中でもN社長は自分の趣味が友人の人生を大きく変えてしまったことに悔いているのか、今まで以上に仕事を発注してくれることになったとのことでした。

「自己破産なんてなんにも問題なかったです。確かに貯金がなくなったのはアレですが、どうせろくに使えなかった金ですし、むしろ本業に精を出して頑張って、頑張った分だけきちんと自分の金になるんだから、自己破産さまさま、センセさまさまですわ」
 すべての手続が終わり、電話で連絡を行ったときにEさんはそう述べました。
「なにより女房と別れられたしね」
ヒヒヒと笑いながら最後にEさんはそう言ったのですが、それが良かったのか悪かったのかは私にはわかりません。

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