債務整理コラム

四則演算の一つ上

借金の返済について当所を尋ねてこられる方には比較的情緒的な雰囲気を持つ方が多くおられます。情緒的と言うことは感受性が鋭敏であると言う事と同義。四季のうつろいを楽しみ、友人や家族・恋人との交流において人生の機微を味わう。それそのものは素晴らしい事だと言えるでしょう。ただ、感情的な部分に意識を多く向けられる方には概して計算があまり好きではない方が多いようです。これは理系と文系と言うようなかたちで分ける事ができます。理系の方としては病気や事故などの不如意な出来事、あるいは追証や倒産などと言った大きな環境の変化に巻き込まれて借金を負われる方が多いようです。対して情緒的な方は初めのうちは微々たる金額で「つい少しだけ」と言ったかたちで借りた結果、少しずつ借入金が増えてゆき、結果的に多重債務に陥ってしまったと言うパターンが散見されます。

前者においては仕方がないと言えますが、後者においてはひっくり返すと今自分がどれくらいの借金を負っていて、いくらなら無理なく返済できるのかをよく把握できていないと言う事を示しています。別の言い方をすれば、「つい少しだけ」型の人は、計算があまり得意ではない傾向があると言うこと。別に計算ができるから多重債務に陥らないと言うわけではありませんが、少なくとも計算ができるのであれば「もうこれ以上は借金が返せないな」と判断した途端、速やかに債務整理を行えるため、余計な心労は負わずに済みます。所詮世の中などは不如意なものですから、一度や二度債務整理を行ったところでそれが不名誉だと言うのは見当違いも甚だしいのです。風邪をこじらせて肺炎になってしまったため、外科手術を受けましたと言うのと同じ事だと言えるでしょう。

さて、債務整理を行なっていて思う事の一つに「世の中に同じ借金をしている人はいない」と言う事です。一人ひとりにドラマがあり、また債務整理を行うにあたって苦悩があります。この一人ひとりの心情を慮り、お客様それぞれの要望に合わせた形でいかに債務を減らせるかが債務整理業者の腕の見せどころです。

ですが人間と言うものは面白いもので、あるテーマに合わせて思考する際、その前の2〜3回の同テーマの行動から判断を導き出すと言う特性があります。例えば「今晩の夕食は何にしよう」と考えた場合、「お昼はとんこつラーメンで、朝食はカレーだった。そうしたら夜はさっぱりしたそばがいいな」と言った具合です。債務整理についてもそれは同様。例えばお客様が「自営業者だけど、借金が返せない」と言って債務整理業者を尋ねられた場合、多くの債務整理の担当者は、前回自分が債務整理を担当したお客様と同じパターンの2〜3人の事を思い返すはずです。そしてかつてのそれがうまく行ったのであれば笑顔で「問題なく債務整理できるでしょう」と担当者は述べるでしょうし、逆に債務整理を難儀したのであれば少し渋い顔をするかもしれません。これは人間の「情緒的」な反応として当たり前の事なのです。

しかしこれはあまり良い債務整理業者とは言えません。今申し上げたように債務整理は一人ひとりがまったくの別物。似ているように見えて債務者それぞれが異なるドラマと悩みを持っているのです。これがわかっていないと相手の話を親身になって聞く事ができません。また、よく耳を傾けないと重大な事柄を「ついうっかり」と聞き逃してしまう事にもなりかねないのです。ですが同時に債務者の一人ひとりに対してまったくの先入観や考えなしにただ話を聞いていた場合、債務者としては「本当にこの債務整理業者の人は、自分の事をわかってくれているのかな」と不安にもおもってしまうはず。

では、本当に良い債務整理業者とはどのようなものか。これはお客様一人ひとりのドラマに対して情緒的にしっかりとコミットできると同時に、それをたくさんのお客様の一人として理性的に判別できる業者です。これは四則演算の一つ上にあるもの。つまり「統計」と言うものがきちんと理解できている業者だと言えます。

例えばご友人の顔を2人思い浮かべてみてください。あなたが今青い玉と赤い玉を両手に持ってご友人に差し出した場合、ご友人はどちらを取るでしょうか。わかりませんね。しかし、これを職業別・年齢別・性別などにわけてゆき、何万人と言う単位でデータを取ってゆけば、何割の確率でどちらの玉を取るかは予測できます。債務整理もそれと同じ。債務者の方から見て、相談をする際に担当者が最近の2〜3パターンではなく、数千・数万のデータからしっかりと傾向を汲み取り、そこから債務者個人個人のドラマにコミットしてくれるように話をしてくれるのであれば、それは良い業者だと言えるでしょう。

ある企業法務専門の弁護士が「能力の高い弁護士とは、多角的な視点からしっかりとお客様の話を聞き、ありえないだろうリスクまで列挙した上で、問題のすべてをまとめあげ、鳥瞰した立ち位置からそのテーマに対する対策を立てられる者である」と言った趣旨を述べた事がありますが、それなどはこの「コミットと統計」を端的に言い当てた表現だと言えるでしょう。

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