債務整理コラム

サンダル御殿と多重債務 (1)〜リスクの重み〜

今回はビジネス的な言葉の多いお話です。このコラムで幾度も述べていますが、金利を抜きにしても、借りるときと返すときの金額は同じ金額であってもまったく異なります。借りて手にした50万円と返すときの50万円とではまったく重みが違うのです。これは心理的な要因ではありますが、もう一つ意味があります。

さて、少し話が飛びますが中国の黒龍江省のあたりには「サンダル御殿」と呼ばれる豪邸が幾つも立っています。これは中国ではある意味で成功者の象徴となっているものです。この御殿の持ち主たちは皆元々が貧しい子どもたちでした。彼らは物乞いや農作業の手伝いをして、なけなしのお金でサンダルを一足買います。そのサンダルは彼らが履くのではありません。この子どもはそのサンダルを後生大事に抱えては遠く山を隔てた隣町へと裸足で赴き、そこでそのサンダルを売るのです。隣町では少しだけ高い価格でサンダルが売れます。そのため、この行為を繰り返してゆくことで、初めは一足だったサンダルが二足になり、三足になり、やがては青果や雑貨に変わり、最終的には御殿へと成長すると言うもの。このサクセスストーリーを現地の貧しい人たちは驚嘆と尊敬の意をこめて「サンダル御殿」と呼んでいるのですね。

現地で安く仕入れた品物を別の場所で高く売る。これは商売の基本です。これを経済用語では裁定取引(アービトラージ)と呼びます。この裁定取引を別の角度から眺めるとどうなるのか。世の中には会社の一部を切り売りしてお金に変える方法があります。誰もがご存知の「株式」です。株式はかつて「株券」と呼ばれる紙切れでした。この株式を「株式分割」と呼ばれる手法で大量に発行するとどうなるか。当然「株券」を大量に印刷しないといけなくなりますよね? この印刷にかかるまでの数日間と理屈の上でたくさん増えた株式およびその情報との間には落差が生じます。その結果、その会社の株式を欲しがる人々が殺到して値段が急騰する。これを繰り返すことですぐに大金持ちになれる。現物・情報と理論上の金額の間に裁定取引を用いた例です。余談ですが、これを行ったのがライブドアの堀江元社長を始めとする幾つかのIT企業。現在では株式の電子化が普及したため、このようなことは行えませんが、例えば会計上の処理や動産・不動産の扱いなどでこのような裁定取引を行っている企業はきっとまだいることでしょう。

話を戻しますと、裁定取引とは端的にはある場所では100円で売っているものが、ある場所では10万円で売れたりすると言うことです。ではなぜ私が今回このような話題を用いたのかと言いますと、多重債務に陥った人と言うのは直感的に「裁定取引」をしたがる傾向があるためです。悪い言い方で言えば法の抜け穴を突いたり、ときには「夜逃げ」や「踏み倒し」を用いてなんとか現状の価値をゼロまで引き戻そうとします。

私はこれらの行動が「不可能」だとは申しません。もしかしたら世の中には逃げまわった挙句大成功した人だっているかもしれないのです。ただし、到底おすすめできる所業ではないことを述べておきます。なぜならば裁定取引にはリスクが生じるためです。

リスクとは経済の世界では「危険」と言う意味ではなく「何が起こるかわからない」と言う意味です。先のサンダル御殿で言えばサンダルが売れないと言う「リスク」。もしくは山道でおっことしたり、ふと目を離したスキに犬が持って行ってしまうと言う「リスク」があるのです。

金融の世界では「リスク」は儲けられる金額と同じ割合で生じるように計算されていますが、法の世界ではそれは別。法を破ると言うことはやにわに「リスク」が無限大に広がるのです。はっきり言いますが、法と言う板子一枚下は地獄です。なぜなら夜逃げをした途端、警察官はアナタを守ってくれません。病気になっても健康保険も使えません。もっと言えば、悪い人間に追われてアナタの身に何が起こったとしても、誰も見向きもしてくれないのです。逃げまわって逃げまわっても未来が見えない。それがたった「50万円」で生じた結果だとしたら、アナタの価値はそれだけと言えるのでしょうか。

このように「リスク」を考えたら法を破って借金取りから逃げまわる意味などないも同然なのです。仕事柄ではありません。法は破らない方が良いと断言できます。

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