債務整理コラム

人間関係が変わってきたら債務整理を

債務整理を行うかどうかについての感覚的な目安。それが今回のテーマです。

そもそも債務整理とは借金返済する方法の一つです。つまるところ手段に過ぎません。自力で借金が返済できるならば当所がお手伝いするまでもありませんし、もし無料相談にご連絡されても自力返済の方が早く返済できると言うのであれば、迷うことなくそちらをおすすめしています。しかし同時に、業務に関係ない個人的な立場で見ると、債務整理の無料相談にまで辿りつけた人は幸運であるとも思っています。

なぜなら、借金の返済が滞ってくると直接お金に関係なく、多くの人たちが思いもよらないハプニングに遭遇しているためです。これは一見するとオカルトのような話に思うかもしれません。しかし紛れもない事実です。しかもその問題の引き金を引いているのはどう見てもお客さま本人。客観的に見ればそれが分かるのに、本人はまるで気づいていないと言うパターンが多いのです。

例えば借金の返済のために飲み会を断り続けた結果、同僚との関係が険悪になってしまった。別のパターンでは家族に借金がばれてしまい、それを問い詰められている最中に今度は浮気相手からの電話がかかってきてしまったなどと言うことが往々にしてあるようです。

では、なぜ借金放置していると、このような「不運」な状態に陥るのでしょうか。お金がないからと言うのは当たり前のことですが、それ以前に何か問題があるために、このようなハプニングが起こるのではないのでしょうか。

思うに、これは現状を維持しようとする人間の本能によるものです。例えば人間の体温は概ね36.5度に設定されています。暑い日ならば汗が流れ、寒い日ならば身体が震えて体温を保とうと本能が努力をしてくれます。

日常生活についてもこれは同じ。人間は一定のリズムとパターンで生活しています。例えばお客さまにしてみても、いつもと通勤ルートを変えてみたり、早起きしてみたりすると少し違和感を覚えるのではないでしょうか。現状の生活リズムと異なるためです。よく宝くじを当てた人がその後、あっという間に財産を使い果たして惨めな生活に陥ったなどと言う話がありますが、これなどはその典型的な例と言えるでしょう。急にお金の量が増えたものだから、本能が今までの生活パターンやリズムに戻すべく、これまでの生活に上乗せされた無駄なお金を排除してしまっているのです。

良かれ悪しかれ現状を維持しようとするこの本能。これを恒常性と言います。
そして、借金においてもこの恒常性は働きます。

本来ならば借金相応の生活レベルに落とさなければならないにも関わらず、本能は現状の生活を維持したいと望む。その結果、どうしても私生活と人付き合いとの間に落差が生じてゆく。例えば借金返済のために飲み会を断らなければならないのであれば、少しずつ友人たちとの仲も疎遠になってゆくことでしょう。浮気相手ならばデートの回数も減らさなければならないかもしれません。その結果、人間関係にどうしてもきしみが生じます。恒常性では抑えきれないラインにまで現実が迫ってくるのです。

このように借金生活をしていると現実と内面との「きしみ」が様々な面で起こってきます。その中でもとくに顕著なものが人間関係。なぜなら、他人とは自分の鏡であるため。お客さまが相手と距離を置くのであれば、相手も同じだけお客さまと距離を置きたがる。この相乗効果の結果、健康や名誉などとは異なり、問題がそれに見合った形を取って現実世界に顕現(けんげん)しやすいのです。ですので、もし「人間関係がおかしくなってきたな」と思った際には迷うことなく、債務整理の門を叩いてください。これは恒常性がお客さまに発する警告サイン。他の誰でもなく、お客さまの心そのものが「もう、抑えきれないよ」と気付き始めていると言うことなのです。

借金は「がん」に似ています。「何だか体調がおかしいな」と思ったところで病院に行けば病巣も小さく、助かる確率も大幅に上がります。同じように早めに借金の債務整理をすることで、問題はお客さまが思うよりもずっと早く解決します。

逆に「何だか変だな」と言う徴候を無視してしまうと「がん」そのものは悪化してゆくことでしょう。その上に他の病気もどんどん併発してしまいます。これは借金においても同じこと。人間関係のみならず、社会的なステータスも、異性関係も、果ては健康に至るまで、すべてに問題が及んできます。そしてこれらの問題が明るみに出る際には、堰を切るように溜まりに溜まったすべての問題が一瞬にして明るみに出ます。そうなると周りから突き上げられ、文句を言われ、自分の債務整理どころではなくなってしまうのです。これが前述した「ハプニング」に直結するのではないでしょうか。

当所が繰り返し「早めの債務整理を」と申し上げているのは、何も金銭面だけではありません。お客さまの人生の幸福そのものを奪い去らないために、申し上げているのです。

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