依頼者からの借金体験記

借金体験記

芸術家を夫に持つ妻の苦悩

 私の夫はミュージシャンです。誰がなんと言おうとミュージシャンです。今でこそ、そう言って胸を張ることができますが、結婚してからずっと、私は夫がまともな職に就かず、まともな稼ぎがないことに悩み苦しみ続けました。そして気がついたら、200万円もの借金を抱えていました。

 夫の才能を信じ、夢を叶えるために支え続ける妻。ワーキングプアが叫ばれて久しい昨今、私たちのような夫婦は、もしかしたら極めて珍しいかもしれません。言うは安し。行うは難し。内助の功をひけらかすつもりはありませわが、似たような境遇におられる夫婦がわずかでもいらっしゃれば、何かの参考になるかと思い筆を取りました。

 

ミュージシャンと派遣労働者

 夫と出会ったのはまだ私が大学生だった21歳のとき。当時からインディーズのバンド活動をしていた夫が、私の所属する大学の軽音学部にライブのボランティアスタッフを頼みにやって来たのがきっかけでした。当時のバンドの主力メンバーの一人が、私が所属していた軽音学部のOBという縁でした。メンバーの中でもとびきりひょうきんで会話にもさりげない知性を感じさせる彼に私はたちまち魅せられてしまいました。彼が私好みのワニ顔(死語)だったことも正直ありました。みんなでいるときは調子に乗って口説き文句を連発するくせに、たまに私と二人だけになることがあると途端にシャイになる彼のことがますます好きになり、私は思いきって自分の気持ちを彼に告白しました。

「うれしいけど、」と彼はイエスともノーともはっきりとした返事をしませんでした。それは、音楽で成功するまでは女性にうつつを抜かすことはできないという彼なりの意思表示だったのです。ミュージシャンといえば、女遊びをしてなんぼ。酒やドラッグに入り浸るのも当たり前。そんな非常識がいまだにはびこっていたその世界にあって彼の音楽に取り組む真摯な姿勢は際立っていました。

“私の力でこの人を一流のミュージシャンにして世に送り出すんだ!”

そうと決めたら私は一途です。音楽活動を続ける彼を全面的に支援するため、私は内定をもらっていた大手メーカーの総合職をあえて蹴り、派遣会社に登録して必ず定時に退社できて土日が休みの派遣先を選んで働き始めました。そんな私の熱意に彼も次第に心を動かされ、いつしか二人は一緒に暮らし始めました。私のアパートに彼が転がり込んでくる形にはなりましたが…

 

将来性という呪縛

 付き合い始めて1年も経つと、私たちは外野からの雑音と蔑みの眼差しにさいなまれることになります。23歳の私は派遣で時給1300円〜1600円の事務職を勤めて月収は手取りで20万円前後。一方、四つ年上の彼は週に一度か二度、日雇いの力仕事に出かけるだけで、あとはひたすら音楽活動。所属プロダクションからの緊急の呼び出しや突発的なライブ演奏の依頼があったときなどに備えて定期的なアルバイトはしないという方針でした。しかも彼のわずかな稼ぎはすべてスタジオ代や音楽仲間との交際費などに費やされるので、私の月給だけで二人分の生活費をやりくりする実質でした。

「なんであんたがそんな苦労を背負い込まなきゃならないのよ?! 向こうが30歳までに目が出なきゃ、きっぱりと別れて新たな男を見つけるべきよ! じゃなきゃ、あんたの人生台無しよ!」

大学の同級生たちは私の現状を知ってみんなが口を揃えてそう諭します。職場の同僚に彼のことを話す機会があると、気の毒そうに聞いてはくれます。

「将来性がない。大事な一人娘をみすみす不幸にするわけにはいかない」

結婚を視野に入れた私は、嫌がる彼を説得し、私の両親に顔合わせに行くと、父は露骨にそう言って彼を門前払にしました。私は悔しくて涙が出ました。プライドを傷つけられた彼は初めて私に八つ当たりをし、

「もう別れる!」とまで言い出しました。

 

妊娠、結婚、出産

軌道に乗りかけた夫の音楽活動

 付き合い始めてちょうど7年目。私のお腹に一つの命が宿りました。私は28歳、彼は32歳になっていました。その頃になると彼のバンドがようやくプロダクションのお眼鏡にかない、彼のプロデュースでインディーズながらいくつかCDをリリースしたり、ギャラのもらえる会場で演奏したりして少しずつですが、音楽活動で稼げるようになっていました。それでも彼は結婚となると二の足を踏みます。いくらわずかでも彼が音楽活動で収入を得られるようになったことは何よりの喜びであり、今後はメジャーデビューを果たしてもっともっと稼げるようになると私は独りで有頂天になっていました。そこで子供ができてしまえば、私の両親も反対のしようがないだろうし、彼も年貢の納めどきで結婚に踏み切り、新たな気持ちで音楽活動に励むことができるだろうとの私の目論見でした。30歳になる前にどうにか納まりたいという私の焦りもありました。

 私たちは結婚しました。そして女の子を授かりました。光と名付けたその子は、文字どおり私たち夫婦の希望の光となってすくすくと育ってゆくはずでした。

 子はかすがいとは言いますが、私たち夫婦にとって光の誕生は皮肉にも暗黒への序章となってしまったのです。

 

派遣切りという悪夢

 光が生まれてから数年間はまさに薔薇色の人生でした。夫の音楽活動も徐々に軌道に乗り始め、インディーズで立て続けにCDをリリースしてメジャーデビューもまもなくというところまでこぎつけていました。

 しかし、その後、状況は一変しました。私が突然の派遣切りに遭ってしまったのです。派遣先の企業と派遣会社との労働者派遣契約が解除されたことが原因でした。私たち派遣社員は否応なく路上に放り出されてしまったのです。「派遣切り」が新聞やテレビ・ラジオのニュースで話題になるよりも随分前のことでした。

 新たな派遣会社に登録し、その派遣先企業に再び派遣されるか、派遣会社はそのままで新たな派遣先で職を得るか…私は後者のほうを選びました。派遣会社を移籍して同じ派遣先企業に勤めると、生え抜きの派遣スタッフと比べて差別的待遇を受けることがあるとの噂がまことしやかに聞こえてきたからです。

 派遣切り。それは私たちのような家族には想像を絶するほどに冷酷なものでした。次の派遣先が決まらないまま、数ヶ月、半年と過ぎてゆきました。その間、軌道に乗るかに見えた夫の音楽活動にも暗雲が立ち込めてきました。メジャーデビューの話はいつの間にか立ち消え、元のうだつの上がらないミュージシャンに逆戻りとなってしまいました。いや、うだつの上がらないとか逆戻りとか、そんなふうに夫を見ていること自体、私が彼の才能に疑いを抱き、彼を支えきれなくなり始めている兆候だったのです。今までは自分のやりたい音楽をやりたいようにやってギャラがもらえれば、それで良いと、夫を全面的に信頼して温かく見守っていました。しかし、私が派遣切りに遭ってからは、娘が成長するに連れて出費ばかりがかさむことに切迫し、それに見合うような稼ぎを夫に得てほしいと次第に思うようになり、

「もっとギャラのいい会場を選んで演奏しなきゃいけないんじゃない?」「 もっと売れ線の曲を作ったほうがいいんじゃない?」と、彼の音楽活動に口を出してプレッシャーをかけるようになりました。それが夫を苛立たせてモチベーションの低下を招いたのは明らかでした。

「メジャーデビューできなかったのはお前のせいだ!」

夫は猛烈な勢いで私を非難しました。

「お前と光は俺の音楽活動の邪魔になる」とも言いました。どんなに貧しくても腐ることなく、いつかは必ずミュージシャンとして世に出られるはずだと自分を信じて前向きに音楽活動に取り組んでいた夫が豹変してしまったのです。それだけ今回のメジャーデビューに賭けていたのでしょう。

“私が派遣切りにさえ遭わなければ”と、私は自分を責め、非正規労働者の道を選んだのは本当に正しかったのか? と自らを省みました。すっかりやる気をなくした夫はまもなくバンドを解離し、お酒に溺れる毎日を送るようになりました。

 

女が借金の階段を上るとき

 このまま家族三人で野垂れ死にするわけにはいかない。私がなんとかするしかありませんでした。私は初めて就職活動というものに踏み切りました。しかし、30歳を過ぎた子持ちの女子にとって正規労働者への道のりは予想以上に厳しいものでした。なんの資格もなく、正社員として働いた経験が全くない私を企業が受け入れてくれるはずがありません。

「旦那さんは何をされているんですか?」

面接でそう尋ねられるのが一番辛かった。

「ミュージシャンです」と私が答えると、

「ミュージシャンですか…」とつぶやいて難しい顔をされるのです。

 にっちもさっちもいかなくなった私は就職活動と並行して近所のスーパーにパートタイムで働き、家族三人分の生活費をなんとか賄おうとしました。朝、娘を保育園に送ってパートに出かけ、夕方に娘を迎えにいって帰りに買い物を済ませ、帰宅してからは三人分の夕食を作って出し、夜は就職活動の書類を書いたり資格試験の勉強をしたり。その間、夫は家に入り浸ってお酒を飲んだり、時々フラッと出かけていっては朝まで帰ってこなかったり。私が問いただしても「新たな音楽活動を模索しているんだ!」の一言で片付けてしまうのです。

 私にも限界があります。月に12万円少々で家族三人の生活費をやりくりするのにほとほと疲れ果ててしまいました。両親の反対を押しきって結婚した手前、両親に生活費のことで泣きつくわけにもいきません。

 路頭に迷った私は、以前から繰り返していたクレジットカードでのキャッシング加えて消費者金融に手を出し、ついには複数社からの借り入れが合計で200万円にも達してしまいました。決してタレントの華やかなテレビCMに気を許したわけではありません。しかし、CMで盛んに宣伝していたように無人のATMに体一つで趣き、対面審査なしですぐにお金を貸してくれる消費者金融の手軽さが、借金の後ろめたさをごまかしてくれるのです。何より、夫にバレる危険性が少ないと思い、消費者金融を利用しました。そんな私の安易な考えが、さらなる失敗を招きました。私は悪徳業者に引っかかり、危うく50万円をだまし取られそうになってしまうのです。

 

巷に蔓延る紹介屋

 あるとき、夫が読み捨てていたスポーツ新聞を何気なく手にとって見ると、消費者金融らしき広告がふと目に止まりました。

「金利1.9%!」「借り入れの一本化」「即日銀行振込」「ブラックリストに載っていても融資可能」「独自の簡単審査」「保証人不要!」「貸し渋りナシ!」 「電話督促なし」「融資総額1千万円!」「特別ご融資キャンペーン中!」 などなど、借金の返済に四苦八苦している私にとってこれでもかというほど目を引く宣伝文句が並んでいました。

 これはひょっとしていわゆるヤミ金融ではないか? 私は初め、眉唾ものに思いました。しかし、消費者金融のやたらに高い利息の返済ばかりで元本が一向に減らず、その利息の返済すらままならず、督促の電話におびえるあまり、別の消費者金融で新たな借金をして借金が雪だるま式に増えていた私は藁にもすがる思いでした。藁にもすがる思いは常識的な感覚をたちまち吹き飛ばしてしまいます。とにかく、新たな借り入れで今ある借り入れの元本と利息を返済して借金を一本化できれば、少なくとも利息分は返済の負担が減るはずだ。私は正確な計算もせずにそう思い込み、清水の舞台から飛び降りる覚悟でその広告にあったPファイナンスなる消費者金融に電話をかけました。

「融資審査のために必要なので、あなたのお名前、ご住所、電話番号、勤務先、生年月日を教えてください」

電話に出た若い男性職員から丁寧な言葉づかいで尋ねられました。いきなり電話で個人情報を明かすのは抵抗があったので、

「どうしても必要ですか?」と尋ねると、「必ず融資します。一緒に借金問題を解決しましょう!」と、力強い言葉をかけて繰り返し尋ねてきました。男性に言われるがまま、私は個人情報を明かしてしまいました。これがすべての間違いだったことに気づいたときは後の祭りでした。

 数時間後、Pファイナンスから融資審査の結果を知らせる電話がありました。すると先日の低姿勢が一転。恐ろしく高圧的な口調で喋り出すのです。

「当社ではお貸しできません。だってAさん、複数の消費者金融から200万円も借り入れて全然元本の返済ができていませんよね? しかし、せっかくだから、うちの知り合いの業者で借りれるように便宜を図ってあげますよ!」

藁にもすがる思いだった私は、いきなり海の底に突き落とされたように目の前が真っ暗になりました。他の業者から借りたところで金利が同じように高ければ、「借入一本化」の意味が全くないじゃないか?! 私がその旨を告げてためらっていると、

「まさか融資を断るんじゃないでしょうね?! あなたのために知り合いの業者に便宜を図った私の顔を潰す気ですか?! 手数料払わなきゃ、損害賠償を請求しますよ!」

「それはおかしいのではないか?」と私が反論すると、

「職場に電話する。自宅に押しかける。実家の両親にも請求する」などと、個人情報を盾にして脅迫まがいに電話口でがなりたてました。

 とにかく、夫だけには知られてはならないと、追い詰められた私は、背に腹は代えられないと、Pファイナンスの指示に従って融資を受けることにしました。Pファイナンスからは融資に応じる業者の住所だけを伝えられ、

「そこに着いたら、店舗に入る前に当社に連絡してください」と言われました。

どうにも腑に落ちない気持ちでそこに赴くと、そこは誰もが知っている大手消費者金融でした。

「店舗に入ったら特に何も言わず、融資の申し込みだけをしてください。そことうちとは特別なつながりがあるので、希望の融資が受けられるよう、支店長に頼んであなたの個人信用情報を操作してあります。あくまでも内密に頼んでいますから、窓口で当社の名前を出すと支店長の責任問題になりかねないので、くれぐれも注意してください」などとPファイナンスの男性は言います。私は半信半疑で店舗に入り、Pファイナンスの男性に言われたとおり、特に何も言わずに融資の申し込みをし、希望の200万円をすんなり借りることができました。

「良かったですね。これで希望通り、借金の一本化ができますね」

たしかに借金の一本化ということではそのとおりかもしれません。しかし、金利が安くなるからってことだったのに、通常の29・2%とはどういうわけだろう? これでは結局、元の木阿弥ではないか? それを電話でPファイナンスの男性に問いただすと、

「はじめはその業者の通常金利で払ってください。ある程度の返済実績ができたところで、金利をゼロにして元金だけの支払いにするよう、うちのほうで便宜を図りますから。あなたのために特別の便宜を図るんですよ! 初めから安い金利で融資を受けようなんて、それはあなた、あまりにも虫が良すぎるでしょう!」などと、もっともらしい口調で言うのです。狐につままれたように電話口で閉口している私に対し、Pファイナンスの男性はことさら大きな声で次のように続けました。

「それではお約束の紹介手数料、200万円の30%、60万円を今すぐうちの銀行口座に振り込んでください!」

 それが「紹介屋」という悪徳業者だと知ったのは、この後、絶望的な心境で帰宅する途中、駅の案内板でふと目に止まった司法書士事務所に相談に駆け込んだときでした。

 この紹介屋なるもの、指示(誘導)をするだけで“紹介”など全くしてないのです。私のような多重債務者の借り入れ状態や返済実績を個人情報とともに電話で巧みに聞き出し、有利に借りられるように“便宜を図る”ふりをして実際は審査が甘い消費者金融などを“教えて”いるだけなのです(既に借り入れをしている業者には、当然ですが誘導しせません)。

「誘導されたのが普通の消費者金融だったから、こういう言い方も変ですけど、まだ不幸中の幸いです。もし闇金なんかに誘導されていたら、もっと悲惨なことになっていましたよ」

司法書士の先生からその話を聞かされたとき、私は自らの愚かさに愕然となりました。自分がそんな悪徳業者に引っかかることは絶対にない。そもそもどんなに切羽詰まっていても消費者金融からお金を借りることは絶対にしない。そう思っていたのに。

「お金に困っていれば、自分の信念に反する行動を思わずとってしまうことは誰にでもあることです。あなたの場合、自分が働きながら家計をやりくりして家族3人を養わなきゃいけないという責任感の強さゆえの落とし穴です。闇金や悪徳業者はそういう人の心理を巧みに突いてくるんですね」

司法書士の先生がそう言って優しく語りかけてくれたので、私は少し気持ちが楽になりました。紹介屋からの手数料請求を断固として断り、「職場や自宅に押しかけるぞ!」とか「損害賠償だ!」とか、脅迫まがいの罵詈雑言を散々浴びせられても勇気を持って電話を切った最後の理性を私は省みました。その理性が最初からあれば、あんな悪徳業者に引っ掛かる前に司法書士事務所に相談にいけたのですが…

 

任意整理で誰にも知られず完済までの道筋を

 夫にすべてを打ち明けることを覚悟で、

私は司法書士の先生に債務整理をお願いすることにしました。すると、家族に全く知られることなく、債務整理を行うことができると司法書士の先生は言うのです。それは任意整理という方法でした。

 任意整理。それは、現在返済中の各金融業者に対し、取引開始時から現在までの全取引履歴の開示請求を行い、利息制限法に基づき正確な引き直し計算を行い、返済を終えた過去の支払いに対し、利息制限法を超える部分の利息について法律上の支払い義務が無かったことを明らかにし、その間の利息(年利5%)を付して現在の残金に充当して負担を大幅に軽減させ、それでもまだ借金が残っている場合は無利息で少額の長期返済、もしくはさらなる残金の減額を条件にした短期返済等の計画を立てること。そう説明されても金融や法律に無知な私はちんぷんかんぷんだったのですが、とにかく、それらややこしい手続きをすべて司法書士の先生が私に代わって消費者金融と交渉しながら進めてくれるというのです。私の場合、紹介屋に「紹介」されて新たに借り入れたお金で利息も元本も払い終えた借り入れ先があったのですが、その場合でも払い過ぎた利息をいわゆる「過払い金」として返還請求でき、新たな借り入れ先に対しても利息制限法に基づいた正当な返済計画に立て直すことができるというのです。

 私の場合、借り入れの合計額は200万円。いずれも金利は29・ %でした。明らかに法律に違反した金利をとっているのにもかかわらず、その金利を私は消費者金融に請求されるがままに払っていたのです。元本、つまりは借金そのものを返済しているつもりだったのに、それとは知らず、そのほとんどが利息に充当されていたのです。これではいつまで経っても借金地獄から抜け出せないわけです。自分がいかに金融や法律に無知だったかを思い知らされ、それなのに切羽詰まって安易な消費者金融に手を出してしまった自分の弱さを恥じました。

 任意整理をすれば残金が半分ほどに減り、毎月2万円〜3万円を返してゆけば2年以内で完済のめどが立つと司法書士の先生に言われ、私に微かな希望の光りが差し込んできました。

 また、すでに元本と利息を完済していた借り入れ先に10年足らずで数十万円の過払い金が発生していたと司法書士の先生に告げられたときは、嬉しいやら悔しいやらで、とにかく、その過払い金を返還請求して他の借り入れの返済に充てることができるというので、私はさらに勇気付けられました。

 ただし、任意整理をすることで、個人信用情報に登録される場合もあり、所持しているクレジットカードなどが使えなくなることに加え、5年くらいは新しいカードを作れなくなるデメリットもあると忠告されました。それでも、自分のためにも夫のためにもそのほうがいいだろうと思い、債務整理の手続きを司法書士の先生にお願いしました。

 その後も「早く紹介手数料を払え! さもないと職場や自宅に押しかけるぞ!」という紹介屋からの嫌がらの電話が続きました。しかし、

「司法書士の先生に全部任せているので、今後はそちらにお願いします」と司法書士事務所の名前を具体的に告げて電話を切ると、その後は嫌がらせの電話はパタリと止まりました。また、未だ完済できずに返済が滞っていた先の消費者金融からの督促の電話も一切なくなりました。司法書士事務所との書類のやり取りは司法書士の先生個人名の封書で私宛に届くので、本当に夫に知られることなく、任意整理の手続きを進めることができました。

 

多重債務者からフィナンシャルプランナーへ

そして、新たな生命が

 すべての借り入れ先への利息と元本を払い終えた私は、とても晴れやかな気分で職場と家庭での毎日を送っています。これから家族3人で新たな人生を歩み始められる喜びでいっぱいです。借金はなくなりましたが、毎月のやりくりが厳しいことには変わりありません。この体験を前向きに捉え、以前から少しずつ勉強を始めていたフィナンシャルプランナーの資格試験に本格的に取り組もうと決意しました。私のように借金を抱えて苦しむ前に、お金の正しい使い方や借り方、貯金の仕方などを私の経験を反面教師としてアドバイスをし、お金のことで道を踏み外すような人を一人でも減らして社会に貢献したいのです。不思議なもので、そのような志を持って積極的に動き始めると、近所にある保険会社で、子育てと夫の音楽活動の支援と両立できる条件で職を得ることができました(もちろん、消費者金融で多重債務に陥ったり、紹介屋に引っかかったりしたほとは伏せていますが…)。一年間の猛勉強の後、私は見事合格を勝ち得ました。フィナンシャルプランナーとして新たな一歩を踏み出した私を見て夫も態度を改め、音楽活動に再起を果たしました。新たなバンドを結成し、平日は近所のスーパーで早朝のアルバイトをしながら、以前のように地道なライブ活動と作曲活動を続けています。40歳になった今でもメジャーデビューの夢を諦めていません。そんな夫を私は娘の光とともに、いや、新たに私のお腹に宿った新たな生命も含めて親子3人で一生支え続けていきます。

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