債務整理コラム

契約的でないご利用の末路 2

結局、借りた30万円になけなしの15万円を加えることで、大沢さんのお兄さんは形の整ったお葬式をあげることができました。ですが問題はその後です。大沢さんのお兄さんはあまり人付き合いを好まなかったせいもあり、お香典は思ったよりも多くなく、ようやく20万円数えられる程度に過ぎませんでした。

残りの借金は20万円。担当者に倍で返す約束をしたためです。大沢さんは昼間の契約社員に加えて、夜間で警備のアルバイトも始めました。しかし、お兄さんの逝去という大きなストレスに加えて、お葬式の段取り、昼も夜も関係なしの仕事です。身体がもつわけがありません。

三週間後の朝。いつもの時間に目が覚めた大沢さんですが、意識が朦朧として目の焦点が定まりません。起き上がって仕事をしないと、という気持ちはあるのですが、まったく身体も動きません。彼は数分ほどぼーっと天井を見上げ、また再びうとうとと眠ってしまいました。

大沢さんは電話の音で再び目を醒ましました。今が何時かもよくわかりません。ただ、傍らのすりガラスの向こうで、空が赤く焼けていました。

「大沢さん、入金どうしたのよ」
不機嫌そうな担当者の声で大沢さんは一気に我に返りました。背筋を冷たいものが流れ落ちます。

大沢さんは、倒れてしまって仕事に行けなかったと述べました。すると担当者は「あああ〜」と嘆くとも、自分に言い聞かせるともつかない呻きをあげました。

「大沢さん、あんたこれどうすんのよ」
押し殺したような声で告げる担当者に、大沢さんは明日中には必ずお金を振り込むと告げました。

あんた、もう次はないからとだけ担当者は述べ、電話が切れました。これまでにないその冷たい響きに大沢さんは慄然たる思いに駆られたのです。それは今までに見たこともない「借金取り」という人間に対する恐怖でした。

次の日から大沢さんの死にものぐるいの一日が再び始まりました。

借金の返済はまるで魂に焼けた火箸を押し付けられるように苦しいもの。過酷な労働環境も加わり、さながら、割った爪から血を滴らせながら、いつ終わるともない絶壁を登るような思いを味わわねばならないのです。

大沢さんの努力は尋常なものではありませんでした。ときに自分よりも若い人からばかにされたり、ときに理不尽な業務を押し付けられたりもしました。しかし必死な大沢さんにそんなことはまったく目に入りません。もはや無我夢中でお金を稼ぎ、返済をすることしか頭になかったのです。

そんな彼でも一度だけ心が傷ついたこともありました。それは業務が終わった後、気の良い同僚から誘われた飲み会を断ったときです。

誘いを受けた後、大沢さんはそっと目を背けて「いや……自分は……」とだけ同僚に告げました。するとその同僚は、なぜか大沢さんの境遇を知っているかのように、やはり小さな声で「そうか」とだけ返してきたのです。気遣われているような同僚のその優しさに、大沢さんはとても悲しかったことだけはよく覚えています。

ともあれ誠実な大沢さんです。担当者から脅される恐怖もあいまって、彼はついに当所の約束通りにも完済できたのです。

仕事が終わったその日、大沢さんはアパートに戻ると同時に万年床のふとんに倒れこみました。もはや立ち上がる気力もありません。何かを考えることもできず、ただただ胸を席巻する徒労感をひとりじっくりと味わっていたのです。

それから少ししてアパートのインターホンが鳴りました。動く力もないために最初は無視を決め込んでいた大沢さんですが、五分近くもチャイムが響き続けば、さすがに煩わしさを覚えます。

大沢さんはシンクの端をつかんで這い上がるように立ち上がり、なかばよろめきながらもアパートの扉を開きました。

そこに立っていたのはB社の担当者です。大沢さんはうつろな目で担当者を見上げました。かたや担当者もわずかに眉を潜めつつ、大沢さんの顔をじっと見つめています。

既に返済は終わったと告げるべく、大沢さんは口を開きました。しかし唇の端から漏れるのは言葉にならないような呻き声だけ。

「どうせこんなになるだろうと思ったよ」

担当者はつぶやき、右手を返して大沢さんの傍らの窓を指さしました。大沢さんの目に映ったものは、窓ガラスに反射する自分の顔。しかしそれは大沢さんが知っている自分の顔ではなく、ドクロも同然の痩せこけた顔でした。老けこんだ薄い皮膚を通じて、頭蓋骨の形がくっきり浮かび上がった得体の知れないものだったのです。

担当者は静かに嘆息しました。そうしてガサリと音を立てて傍らに下げたコンビニエンスストアの袋を大沢さんの前に差し出したのです。大沢さんがそれを開くと、中には菓子パンと数本の栄養ドリンクが入っていました。

担当者は、考える力もなく袋の中を見つめる大沢さんからくるりと背を向けました。そうしてまた「どうせこんなことになるだろうと思ったんだ」とつぶやきながら、その場を後にしたのです。

それから数ヶ月後、大沢さんは今や体調も良くなり、今まで通り契約社員の仕事に打ち込んでいます。アルバイト生活をする必要もなくなったため、精神的にも大分落ち着きました。たまには同僚とも遊びにゆける程度の余裕も戻ってきました。

しかし、あれ以来はバツが悪いのか、結局B社に赴くことがなくなりました。B社の担当者からも以降、連絡がありません。

ただ、たまに思い出し、少しだけ憂鬱な気持ちなります。
「どうせこんなことになるだろう」とは、多分、こういう意味だったのだろうと。

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